組織としての大学の研究室
多かれ少なかれ「組織」といういうものは問題を抱えている。
大きなところでは、国や企業が抱える問題。
小さなところでは、家族や恋人同士が抱える問題。
そして、多くの問題は解決されない。
国や企業の場合であれば、それは利権や利益が問題解決を阻み、
家族や恋人同士の場合であればメンツやプライドが問題解決を阻む。
前者と後者の違いは、前者の場合は国益なり利益といった最大化すべき対象があり、その対象を最大化するする行為こそが正しい行為であるという行動規範が存在するのに対し、後者の場合は、それに相当するものがなく、よって明確な行動規範が存在しないことである。
大学の研究室を組織としてとらえたとき、大学の研究室は後者に属する。ルールなんてあってないようなものだ。この性質により、大学の研究室は憎悪と歪んだ愛情のもとに成り立つ家族や恋人たちが抱えるような奇妙な人間関係が問題になることがある。
僕なんかは、この自由を謳歌させてもらって結構好き勝手やっている。その結果、眉をひそめられたり、馬鹿にされたり、嫉妬されたり、時によれば恨まれたりする。しかし、こんな僕でも全く自由に好き勝手やっているわけではない。つまり、やはりというべきか知らないが、大学の研究室にもルールは存在する。それは、大学の研究室の「利益」を促進または最大化させるように振る舞えということである。簡単にいえば、みんなで研究室を盛りたてて行こう!と心のどこかで意識し、また行動で表現しようということである。特に、博士課程に進む人はこれを意識しなけばならない。僕は少なくともこれを意識している。
逆に、これを意識しない人は天才でない限り組織にとって負の人材となる。そう思う。
注:この記事の目的は誰かを批判することではなく,誰かに贈る僕(ら)からのメッセージである。それは,僕(ら)からの期待であり希望でもある.
注:ガクトいわく「予想とは裏切るべきものであり、期待とは応えるべきもの」だと言いました。今回は逆の結果であったようです。
追記(11/21):この記事を書いた甲斐はあったかもしれない.